柳生新陰流の世界を探求

ひきはだしない

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袋しない

袋しない

「ひきはだしない」とは

柳生流の稽古の特徴は、「ひきはだしない」で勢法(形)を錬磨することにあります。

『ひきはだしない』とは、新陰流の流祖 上泉伊勢守信綱が創案した袋竹刀です。

馬や牛の革で作った袋に漆を塗り、三尺二〜三寸の真直ぐな破竹に被せた道具で、

現代の剣道で使う竹刀の原形です。

竹の中程まで四ツ、その先を八ツ、先端を十六に割ってあり、そこに二尺六寸の 漆を塗った革袋を

着せています。 ちなみに「ひきはだ」とは、漆を塗った革に出来るシワ模様が、あたかも ひき蛙の

肌の模様に見えることから、「ひきはだ」と呼ばれています。 新陰流は鍔を頼りにしない流儀

なので通常鍔は付けませんが、将軍様用の小太刀の袋竹刀には 鍔が付いているものも現存します。

将軍様用の袋竹刀は特別製法で、使い易い様に少し刀みたいに薄平たく作ってあり、 金の蒔絵で

美しい模様が描かれていて、正に美術品の趣きがあります。

革の色は一般的に赤ですが、江戸柳生では赤は将軍様用で、それ意外は黒という事に なって

いますので、黒い袋しないが残っています。

尾張柳生では革袋の縫い目を刀の刃に見立てて使いますが、大和柳生の里の伝承では、

革袋の縫い目を刀の峰に見立てて使うという口伝があります。

袋竹刀の定寸は、三尺二〜三寸(柄七寸)、小太刀一尺七寸五分(柄四寸)と なって

いますが、それらは現代の工業製品と違い、規格で決っているわけでは ないので、各自の体格や

好みに応じて多少アレンジが加えられています。

例えば宗矩の竹刀は長さ三尺三寸(柄七寸)、小太刀は一尺九寸(柄四寸)で、 竹の先と

革袋の間に二〜三分程すき間を空けます。 宗冬・宗在の竹刀は長さ三尺三寸(柄八寸)、

小太刀は二尺(柄五寸)で、竹の先と袋革の間を詰めて、すき間をあけません。

又、尾張の麒麟児と呼ばれた連也は、短い太刀を好み、二尺五寸(柄四寸五分)の中太刀を

考案しました。

さて、刀などの重い道具は軽く使い、竹刀などの軽い道具は重く使えという教えがあります。

袋竹刀は真剣や木刀に比べて非常に軽く、バランスも悪い上、竹で 握りが丸いので、

とても使いにくく出来ています。その使いにくく、扱いづらい 袋竹刀で稽古する事が、

一つの眼目となっています。

丸いが故に前述した通り、 どこが刃で、どこが峰かを意識して刃筋を通し、平打ちにならない

ように注意する必要があります。 木刀等で稽古する場合は、実際に打込む事が出来ないので、

寸止めをしたり、少し外した所を打ったりします。そして当たるギリギリまで攻めれば良く詰めた

と言って稽古していくのですが、やはり危険度が高く、稽古相手の腕前を良く見極めないと、

思わぬ怪我をしてしまう場合があります。

しかし何も安全だから袋竹刀で稽古する訳ではありません。怪我を恐れていては 武術の稽古など

出来ません。むしろ恐いのは、怪我をすると稽古を休まざるを得なかったり、稽古を続けることが

出来なくなるという点にあります。

そして袋竹刀を使用する最大の利点は、怪我の心配をする事無く、思いきって打込む事が出来、

実際に打ち合う感覚や打ち間を会得する稽古が出来る点にあります。

しかし、思いきって打てるからといって、袋竹刀は激しく叩き合う道具ではありません。

『撃剣叢談』の次のような話が載っています。 柳生十兵衛三厳公がある時、さる大名のもとで、

剣術をもって世渡りする浪人に引き合わされました。

その浪人が、「憚りながら一手お立合いくだされ」 と所望し、三厳公すぐ承知して立合い、

打ち合われましたが相打ちでした。

「今一度」 と浪人が所望し、立合われましたが、また相打ちでした。

その時三厳公が浪人に向い、「見えたか」 と問いました。

つまり今の勝負の決着が分かったか(お前の負けが分かったか)と 言ったのです。

それを聞いた浪人が怒って、「両度とも相打ちでござる」 と言いました。

三厳公こんどは主人に向って、「どのように見られましたか」 と問いかけたところ、主人も

「いかにも浪人の申す通り相打ちと見受け申した」 との返事でした。すると三厳公は、

「この勝負が見分けられないようでは仕方がない」 と言って、席に着いてしまいました。

浪人がますます怒って、「それならば真剣にてお立合い下さい」 とせき立ちます。 三厳公は、

「二つとない命だから、余計な事はやめておきなさい」 と平然とした顔で言われました。

浪人はますますいきり立って、「拙者、この分では明日から人前に出れません。是が非でも

お立ち会い下さい」 と凄むので、三厳公静かに出て来られて、「いざ来られよ」 と言って

立合われ、さっきと同じ様に切り結ばれました。 結果、浪人は肩先六寸ばかり切られて

二言もなく倒れました。三厳公は席に戻って、着ていた黒羽二重の小袖、下着の綿までは、

切先外れに 切り裂かれましたが、下着の裏までは切られずに残っている所を主人に示されて、

「すべて剣術の届くと届かざるは、五分一寸の間にあるものです。単に勝つだけ ならば

如何様にも勝つ事は出来ますが、最初に申し上げた事に間違いが無い事を 御覧に入れる為に

この様な対処をいたしました。」 と言われました。

主人は感心し、かつ驚いたと言う事です。

バシバシ叩き合うような行為は、武術とは言えません。高度な身体芸術の世界とは真逆の世界です。

やはりこの挿話の如く、剣術とは微妙で繊細な、見える見えない所を稽古する必要が あります。

それにはやはり袋竹刀が最適ではないでしょうか。

私は、「ひきはだしない」は武術史上最高の発明だと確信しています。

 

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